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生きる以上は

a0028049_4144749.jpg大人がしていることを、
なんでもまねするのが子どもというものです。
「まなぶ」とは、「まねぶ」からきているそうですもんね。
こちらがほかのことをやり始めれば、
興味はどんどん移っていきます。
ああ、またよけいなことをして! と思うときも、
わたしと同じことがしたかったんだな、と一呼吸置くと、
不思議と腹も立たなくなります。
わたしがそれを思い出せるかどうかがカギです。

きょう、かずおくんがまったくひとりで終えた洗い物。
3つ。
たいそうていねいに洗っていました。
シンクには、まだたくさんのお皿。
わたしも最近は、洗い終えることを目指してイライラするよりも、
少しでもやってもらったら、
ありがとうと言う訓練をさせてもらってます。
それが、お互いに楽なようです。
毎日、ひとつでも増えたら、それではなまる。
減っても、はなまる。
なくても、はなまる。

ありがとう。





●「生きる以上は」  (羽仁もと子著作集『思想しつつ 生活しつつ(中)』より抜粋)


私どもは果たしてどのような標準によって、
おのおのの一生を営んでよいものでしょうか。

生死は神のつかさどり給うところであるにしても、
その与えられた生を、
自分の思うままに使ってゆくということは出来ないものでしょうか。
生のために役せられずに、
生を使って自分の思うことをするように生きられないものでしょうか。


枝がもし葡萄の樹に連なっていなければ、
ただ枯れてしまうばかりで、
幹に連なっている枝は限りなくよい実を結ぶということが書いてあるのです。
(『我は葡萄の樹、汝等はその枝なり』のこと)

職業についてばかりでなく、
われら自身の生活の急所が、
果たして葡萄の樹に連なっているその枝であろうか、
あるいは幹とは没交渉な枯れている枝であろうかということは、
さらに大切な問題だと思います。


同じように朝起きると火をたきつける、
掃除をするというような生活でも、
それはわが身を養い、わが心を養うための働きである。

子どもの面倒をみるのでも、
ただ生んだから、世間でもこうするから、というようなことでなく、
ほんとうに子どもの内に宿っている生命をのばしてやりたい。
感情においても、知恵や力においても、優れたものにしてやりたい。
もしも優れた天分を持っていないにしても、
その子としての出来るだけの進歩をさせてやりたいという考えで、
熱心に努めるならば、
それによって、己れ自らも毎日毎日今までは思いおよばなかった
さまざまのことに思いおよぶことが出来、
それからそれと進歩して、
それがまたその力量の大小に応じて、
種々の働きになって現れて来るのです。
これがすなわち人生の目には見えない大きな幹に連なって
多くの実を結び得る枝になっている証拠です。
生きる以上は、与えられたわが生を、
自分の意志で確かに使ってゆきたいと思います。 (以上)


きのう、友の会の方面会の読書に選ばれていたところです。
長くなりましたが、感動したので、ご紹介。


ちなみに、羽仁もと子さんのお孫さんは、映画監督の羽仁進さん、
ひ孫の羽仁未央さんは、日本でのホームスクーリング先駆者です。
未央さんも、香港で映画監督などをされているそうですよ。
by les-copain | 2009-06-24 04:14 | ■コパンの旅


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