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「街角クラブ vol.1」

“パフォーマンス・サークル * 誰でも発表会!”
  出演者大募集です。
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ホームスクーラー仲間の
チーム渡辺とチーム堀井の共同企画です。
発想のきっかけはやはり、
ホームスクーラーたちに人前に出て
パフォーマンスする機会を提供してあげたいということでした。
が、よく考えてみれば、ホームスクーラーに限らず、
そういう機会のほとんどない人は大勢いるではないか、と。
そう、おとなでもいいんです。
むしろ、子どもだけじゃつまらない。
だから、誰でも参加できます。

うた、楽器演奏、ダンス、朗読、
絵や工作の発表などなど、なんでもいいんです。
舞台に立つ経験を通して、お互いに励まし合いながら、
ともに成長できるよろこびを共有したいのです。
それぞれに与えられた、神さまからのおくり物を、
みんなでよろこびたいのです。

手作りのイベントですから、同時に裏方の仕事もあります。
それもみんなで手分けしてやるので、
イベントづくりの勉強にもなります。
他にはないこの企画に、みなさんもぜひ参加してみては?

日時:2010年5月15日(土)pm1:30〜4:00
会場:ワッツ・コミュニティセンター「5Fミニホール」
  (東武野田線「岩槻駅」下車すぐ)
参加費:おとな 3,000円 こども 2,000円(兄弟割引あり)
当日のチケット:おとな 1,200円 こども 500円

まずは、とにかくお問い合わせください。
メール:info(a)gmx-jp.com
でんわ:048-749-7655

後日、募集要項ができ次第お送りします。
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by les-copain | 2010-02-27 20:06 | お知らせ | Comments(0)

ダンシャリデイ

友の会に「型紙のない子育て」という集まりがあり、
今月は我が家が会場になっています。
あしたです。

ありのままでお迎えしてもいいのですが、
同じ地区の大先輩が、なにかできることはありませんかと言ってくださったので、
片づけを手伝っていただくことにしました。

といっても、片づけが必要なもののほとんどは、
わたしか、えいさんがひとつひとつ取捨選択して整理しなければならないものばかり。
わたしの問題は、食に関する資料を入れた紙袋の山です。
これこそ、いつか利用しようと思っているあいだに詰め込まれた、
新陳代謝のないものばかり。
わたしにとっては、服や台所用品などより、
知識・情報は、ないと困るかもしれないからという不安によって、
捨てづらいものです。

これはきょう一緒にぜんぶは無理なので、
とにかくフリーマーケットに出せるものの準備と、
子どもの衣類やおもちゃコーナーに知恵をいただいて、
使いやすく改造したいと思います。

もちろん、ビフォーの写真はとっておいて、
あした来られるみなさんには、両方をお見せできるようにします。

ありのままでお迎えしてもいいんですけれども、
せっかくだから、自分のモチベーションを上げるためにも、
この機会、使わせていただきたいと思います。

楽しみ~。

● 本日のダンシャリことば(ブログより)

受講生さんの、お悩みのなかで一番多いのが、家族の問題。

自分がやっと処分したモノを、もったいないとゴミ袋から拾い出す夫、あるいは妻、両親、舅姑。
イライラはつのりますよね。

が、自分が、人のモノでイライラとしている限り、相手も、噛み付いてきます。
まずは、人のモノには目をつぶって、自分のテリトリーから。
自分の縄張りの、自分にとっての不要・不適・不快なモノの取り除きを最優先に。

夫の夥しい不要品に、腹を立てていたにもかかわらず、
自分それも、負けず劣らず大量だったりして^^;・・・笑えますね。

そう、愉しんで、嬉々として、いそいそと断捨離していると、夫も捨て始めます。


****************

いつも感じるわけですが、
人生のすべてにおいて、同じことが言えますねえ。

まずは、わたしが楽しそうに、日々変わっていくこと。
人の目のちりより、自分の目の梁。

です。
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by les-copain | 2010-02-25 05:55 | 片づけ | Comments(0)

恵みによって

わたしのダンシャリ、少しずつですが、進んでいます。
お出かけ続きで、家の中はぐちゃぐちゃですが、
楽しいこと、うれしい出会いがいっぱいあったので、
それはそれでよし。
片づけはあした一気にやろうっと。

断捨離とは、断行・捨行・離行という、
やましたひでこさんがヨガを学びながら出会った修行だそうです。

わたしのダンシャリは、修行ではなく、
ただ、わたしを愛してくださる神さまの恵みからスタートしたいと思います。
「怨念晴らし」(わたしが以前受けたカウンセリングの用語)から来ている部分があることを
認めざるを得ませんので。

● 本日のダンシャリことば(ブログより)

やましたさんの、「なんでもとっておきたい派」(所有するというモノの使い方)のおかあさん、
やましたさんの受講生さんの、「コレクション派」(集めるというモノの使い方)のお舅さんとのエピソードから。

********************

究極、家屋敷・土地さえも「地球からのレンタル品」と考えている、その娘とは、
折り合うのは、無理な話^^;

家・土地を登記して法的に所有権を獲得したとしても、
それはとりもなおさず、維持管理の手間の義務・権利を購入しただけのこと。
どんなモノも「お手入れ」してこそ、より良い関係が築ける。

やはり、モノは使ってこそ。

********************


せっかくいただいた神さまの恵み、賜物も、
心の中、家の中のモノたちに縛られて、
使わないで、包みを開けもしないでほこりをかぶらせていたら、
使わせてくださっている方に申し訳ないです。

所有権は主のもの、
使用権は、被造物のもの!

みなさん、きょうもお元気で。

ただ主に栄光。
ただ主に栄光。

ハレルヤ!
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by les-copain | 2010-02-24 08:13 | 片づけ | Comments(0)

いのちのバトン

いま、電車の中で読み物をしています。

●私たちはその時代に必要なことを考え、
若い人の力、壮年高年の支えを得て、
協力しあって走るリレーの一競争者

(友の新聞より)



堀井祥子の人生がなければつながらないいのちがあるのです。
いのちにかぎりがあるのは、
この競争をせいいっぱい走り抜き、
いのちのバトンを次の人たちに手渡すため。

堀井祥子は生きるために生まれてきました。

堀井祥子のいのちをきょうも生かされ、
いのちのバトンを手渡していきたい。
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by les-copain | 2010-02-22 09:52 | ■コパンの旅 | Comments(0)

人生応援@ジョイフルライフ.教会

わたしの母教会、浦和チャペルのブログをご紹介します。


http://urawachapel.blog.so-net.ne.jp/


● ブログ最新記事より


ところで 私たちは自分自身の人生をていねいに応援しているでしょうか。

あなたは、自分を戒めるよりも、祝福しようと心がけていますか?

あなたは、形の整えるよりも、自分の、その時の気持ちに寄り添うことを心がけていますか?

あなたは、出来ないことをガンバルよりも、出来ることをよろこんでしようと心がけていますか?



私たちは 自分をどんなに教えても、戒めても、形を整えても、

出来ないことをガンバっても救われることはできませんでした。

神さまの恵みからスタートしたクリスチャンライフはどこまで行っても、

joyfulでありたいものです。

もう一度、自分自身の人生を、ていねいに応援することから 

神さまの恵みを味わってみてはいかがでしょうか。



● 本日のダンシャリこどば(やましたひでこさんブログより)

新陳代謝のある暮らし、
厳選されたモノが、ゆったりと取り込まれ、
大切に使いこまれ、使いきられた後、
感謝と満足とともに、手放されていく。

清々しい暮らし・・・

ゆっくりと深くて長~い呼吸が、自然に出来る、そんな住空間。

自分のために、
家族のために、
家、そのもののために。


● 本日のダンシャリ

続けて、衛生用品少し。
バザー、フリマに出品するものの準備。


神さま、きょうもすべてをありがとう。
あなたのいのちの息を、ありがとう。
わたしの人生、あなたに応援されている。

恵みの旅は、きょうも楽しい。
新陳代謝のある人生は、きょうも軽やか。

ただ主に栄光。
ただ主に栄光。
ハレルヤ!

みなさん、よい一日を!
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by les-copain | 2010-02-22 05:44 | 思い | Comments(0)

引き算

a0028049_5573186.jpgお耳そうじは、いや~!

きのうは、おいっこしゅうちゃんの、
保育園最後の生活発表会。
とうちゃんああちゃんに迎えに来てもらい(朝5時!)、
行ってきました。

めいっこおいっこの通った保育園は、
子どもたちに、お琴やお茶、
ダンスにうたに、和太鼓に、劇にと、
実にいろいろなことを経験させてくれます。
毎日毎日練習して、赤ちゃんから今度小学生になる子どもたちまで、
全園児たちによる、
いやはや、ほんとうに見事なパフォーマンスを披露してくれます。

2時間半の超盛りだくさんプログラム、
かずおくんは、すべて楽しみました。

ああ、しゅうちゃん、
ほんとうにかっこよかったよ!




芸術の世界で、「引き算の美」というのがありますね。

先日の水谷師講演会でも、
子どもに「なにをしてあげるか」ではなく、
「なにをしてあげないか」ということが言われていました。

やましたひでこさんのダンシャリブログにも、
引き算のことが書かれています。

モノを入れる前に、まずなにかを捨てること。
そして、その新しいものがほんとうに必要かどうか、
立ち止まって、よく考えること。

きのうもまた、妹たちにお昼をごちそうになりました。
わたしは、かずおくんと一緒に、ひとつのメニューを分けることにしました。
それで、頼んだのが、1.5玉分のうどんと、てんぷらふたつ。
かずおくんもおなかがすいているだろうから、
きっとたくさん食べるだろう、と。


が、しかし!
早く食べ終わって遊びたいかずおくんは、おかわりもせず、
ほとんどがわたしの胃袋に収められる結果に。
わたしは、打ち上げられたクジラのように、
満腹のおなかを天に向けて、
動けなくなっています。

実は、いつも同じことをして、
次回は、ふたりで一人前にしよう、と思うのですが、
メニューを決めるときに、
そんなことはすっかり忘れてしまうのです。
そして、

「足りなかったら、あとでひもじく、さびしい思いを自分がするかもしれない」
「1.5人分でこの値段はお得だ」という、
恐れや損得勘定、
目の前の簡単に手に入る快楽=おいしいものがいっぱい、
お得、などなどが優先して、ついつい、足し算してしまうのです。

わたしは、食べ物を残すことができないタチです。
だったらなおさら、
「こんなに必要か?」
「いままでどうだったか?」
「自分はどうなりたいのか?」と、
立ち止まって引き算してみてから、決める。

モノにも食べ方にも、
ほんとうにわたしの心が反映されます。
選び方は生き方。

きょうはひさしぶりに、蒲田の教会へ行きます。
きっとお菓子もふるまわれます。

神さま、きょう、なにかを食べるときに、
自分のからだと心と相談しながら、
最終的にわたしが喜び、あなたが喜ばれるように、
目の前にある楽しみを取捨選択することができますように。

足りなくなることを恐れずに、
分かち合う喜びを選ぶことができますように。


● 本日のダンシャリ

ずっと使わなかった衛生用品を少し。


● 本日のダンシャリことば(ブログより)

モノの中で、息を潜めた暮らし。

モノの取捨選択の決定権、手放す自由・捨てる自由を手に入れて、
家は、初めて、大きく深呼吸のできる、自分の住まいとなる。

ご本人は、気がつくのが遅かったと、おっしゃっていたけど、
いえいえ、そんなことはありません。

人生は、さあさあ、これからですよね。



ただ主に栄光。
ハレルヤ!

よい日曜日を!
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by les-copain | 2010-02-21 05:57 | 片づけ | Comments(0)

ダンシャリ計画

a0028049_6212376.jpg雪が降りましたね!
この寒がりのわたしが、
率先して外で雪遊びなんて、
かずおくんのおかげでしかありません!

準備ができて、外へ飛び出したときには、
すでに溶け始めていましたが、
うらの駐車場の車には、
まだまだ真っ白な雪をかぶった車がいっぱい。

お向かいの同い年のお友だちとママも一緒に、
駐車場で、よそさまの車から雪集めして、遊びました。
うちの真裏は、広くレンタカー屋さんの駐車場になっています。
さすが、レンタカーから集めた雪はきれいだ~。

雪だるまを作りたかったのですが、
まるめるそばから壊されました。

公園ならまだ雪はあるかと行ってみました。
あったけど、枯れ芝生がいっぱいくっついて、
毛深いだるまができあがりました。

お友だちは2年保育に決めたんですって。
だから、もう一年は、朝から遊べる。
わ~いい。よかったね。

そうそう、先日のコンサート、とってもよかったです!
ギター一本も、静かにゆったりとした心持になれたけれど、
やっぱりリコーダー、ピアノ、パーカッションとのアンサンブルが楽しかった!
わたしも、リコーダーとパーカッションは練習したくなりました。
「楽しそう」って、すごいですね。

かずおくんも、まわりの親切なみなさまのおかげで、
最後までおりこうさんで、一緒に演奏も楽しむことができました。

途中で、「おしっこおしっこ」が始まって、
一度だけ抜けましたが、
また戻ってもこれました。

よかった!

ああちゃん、みなさん、ありがとう~!




かあちゃんの留守中は、家族でおでかけ続きで、
けっこう忙しいスケジュールになりました。

外出が続くと、家の中も乱れてくるので、
ダンシャリ、少しずつ決行です。
ダンシャリする人のことを、「ダンシャラー」というらしい。
そして、やましたひでこさんは、「クラター(がらくた)コンサルタント」という肩書きの
商標をとっておられます。

ブログの中身は膨大なので(ひとつひとつはとても簡潔)、
少しずつ読ませていただいています。
そのうち、ご著書も読ませていただこう。

ダンシャリ、これはほんとうに必要か?と思ったら、
きのうは食べ過ぎなくてすんで、
夜の体重もちょっと減ってました!


●今朝のダンシャリ

保存用にとっていた空きビン2つ
小さなタッパー(離乳食用に使っていたもの) 3組

今度の火曜日は、
友の会で、不要の台所用品のミニバザーがあるので(会員の集まりで)、
そこで出せるものがあります。
その準備をします。

地域のスーパーで、出店料無料のフリーマーケットがあることがわかったので、
きょう、問い合わせてみようと思います。
美人姉妹と一緒にできたらいいなあ。
わたしは、麦芽あめも出してみようかな。


●本日のダンシャリ語録(ブログより)

必要なモノは、必要な時に、必要なだけ、与えられる、、、
そんなふうに、天にお任せできると、
人生は、もっともっと楽天的に生きられるのでしょうね、きっと(^_^)v



きょうも神さまに養っていただいています。
思い煩い・心配は、祈りに変えます。

神さま、ありがとう~!
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by les-copain | 2010-02-19 06:21 | 片づけ | Comments(1)

断・捨・離

a0028049_613280.jpgばあちゃんの体位交換や
薬・流動食を入れるあいだ、
かずおくんは、手伝ったり、じゃましたり。
ばあちゃんのふとんにもぐりこんだり、
あばれたり、
耳元で、大きな声で話しかけたり、
ほっぺたやくちびるにチューしたり。
きのうは、枕元に座って、
「おちょれてはならない~。」と
うたっていました。

かあちゃんはきのうから1週間、
まりちゃん家へお泊りです。
もうひとりの孫との時間を楽しんでね。

今朝目覚めると、
ひさしぶりに、えいさんがふとんで寝ているのを見ました。
ひとときの休みも、仕事に明け暮れそうですが、
とりあえず寝られてよかった。



きょうは、わたしのダイエットに協力してください!と
書こうと思っていた矢先、
敬愛するポスチュアウォーキングの遠藤絵美先生のブログから、
『断・捨・離』の著者、やましたひでこさんのブログに行き着きました。

「断・捨・離」ということばは以前から知ってはいました。
仏教用語だと思いますが、
聖書の中にも同じことが書かれています。

断つ、捨てる、離れる。

わかっちゃいたけど、できなかったこと、
きょうから始めようと思います。

**************


● もったいない、の落とし穴

● 空っぽになるって、気持ちいい、、、。
 ごみ箱も、押入れも、部屋も、住まいも、からだも、こころも。

● 見えないものは、必ず見えるモノに現れる。
 たとえば、元気のあるなしで、表情や姿勢も違うはず。
 たとえば、口癖<見えるというより聞こえるかは、
 その方の、思考や観念の見えるカタチ。

 見えない心の状態、心にトラブルがあるとしたら、
 それが、物質界、住まいに現れる。

● モノと対立している、それは、自分を否定しているのと一緒。
 ごちゃごちゃな住まい、この状態を認めたくない、即、自分を認めたくない。

● 現状を認識する。
 住まいの混乱、モノの混乱、見ないようにしてきたけれど、
 本当のところはどうなんだ?
 このごろ、ずっと忙しくて、こうなってしまったんだな、あなた、疲れてない?
 などと、自分自身に語りかけてみる。
 そうすると、「見る」という行動が出てきて、見えてくる。

 ありのままを見て、今の私は、こうなんだと理解する。
 この現状認識能力、断捨離で磨かれる力。

 現状を理解、踏まえた上で、片づけにとりかかる。
 良い悪いの判断をせずに。
 自分を責めずに。

 そうすると、片づけが、愉しいものになりますね。


● 驚くべきことは、私たちの生活の大半は、
 モノを山ほど手に入れることに費やされている。
 それはいずれ、埃をかぶり役にたたなくなり、
 不快の原因になり、場所をとり、最後は物置行きになる。
 そして、まったく無用であるのに、捨てることもできないのだ。

 (コリン・ターナー著『人生の宝物はあなたの心を掃除したとき見つかる 』より)

● 食べることも、モノを取り込むことも、そして、それらの保存も、いわば本能の領域。
 生存・サバイバルの領域、戦いの世界。
 かつて、食べもの・モノは、確保も保存も容易でなく、生き残るのが難しかった世界。
 そんな世界でこそ、不可欠、必須の本能。

 食物もモノも、必要以上に有り余る世界で、幸いにも暮らしている私たちが、
 まっとうな意識化を加えていかないかぎり、そしてそれを続けていかないかぎり、
 身体の脂肪も、住まいのガラクタも、膨張の一途・・・

 幸いをもたらすはずの食物とモノが、
 どうか、メタボリック症候群や家の中でのため息・息苦しさとなりませんように。


(やましたひでこさんのブログより)


***********************

は~、そうです、そうです。

神さま、どうぞ、わたしの心と家の中を祝福してください。
あなたはわたしを責めないで、
心のガラクタを捨て、たまったほこりをはきだす作業を、
毎日毎日、一緒に手伝ってくださることを感謝します。

あなたの風がさわやかに心の中を吹くように、
わたしの家の中にも流れてください。

ため息ではなく、感謝と賛美がわたしの口からあふれますように。
わたしの心ががらくたではなく、あなたの愛であふれますように。
わたしの心とからだが軽くなって、
あなたのくださったよいものを、最大限に活かすことができますように。
あなたの連れて行きたいところへ、どこへでも飛んでいくことができますように。

寒いから、溜め込んだものを燃やすチャンスだ!
そのための脂肪だよ~。
ありがたい、ありがたい。
はりきります!
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by les-copain | 2010-02-18 06:13 | 片づけ | Comments(2)

四通八達の家(しつうはったつのいえ)

a0028049_4111074.jpg寒い日が続いています。
みなさん、お元気ですか?

きのうは、友の会の「最寄り会」。
大好きなコミュニティーバスに乗れる日です。
1時間に1本しか出ていないので、
直前に、ものすごく急かしてしまいました。
ごめんね~。

うしろのごみが気になりますが、
バス、心待ちの図。

いつも、まず讃美歌を歌い、
そのあと、創設者・羽仁もと子の著作から、
その日選ばれた箇所を読みます。

教えられることばかりですが、
きのうも、まさにわたしのことを言われたようでした。

**************

自分や人の垣根を結ぶ心持と長い間戦ってきたのです。


(家族のあいだでも)
機嫌をとるのとられるのというのは、すでに垣根があるのです。
目前の自分が可愛くて、相手の本当のことはどうでもよいのです。

(途中・要約)
それは愛ではなく、甘い心で人を軽んじていること。
自分の存在を軽んじていることから発する。
そこから生まれるものは、恐れと用心であり、
人と人との間に垣根を作る。

その臆病さは、不思議に大いなる高慢と通じています。
自分の家と人の家と、
自分の心と他人の心とを隔てる心は、
同時に自分のほうが他人に劣っていては負けていては、たまらなく苦しい心です。
臆病な人ほど高慢なものはありません。

よいことが自分にあれば、それを自分ばかりの宝にしないで、
人に分けなくてはなりません。
それを分けるために、私たちは愛と謙遜を常に自分に持っていなくてはなりません。
人からよいものを分けてもらう謙虚さは、
さらにそれよりも、臆病ゆえに勝気な私たちには面倒なことです。

社会改造のイデオロギーも戦術も、
ただ愛と謙遜の通路によって、自分から外へ出て行くもの、
またその同じ通路によって、多くのよいものが、
他人から自分に恵まれてくるものです。

開け広げた夏の家で、
重くるしいへだての家や人のことを思いやりつつ、
私たち自身もまた、もっと自由にもっと謙虚にしていただきたいと願いつつ、
この手紙を書きました。
(昭和6年8月)

羽仁もと子著作集 『みどりごの心』収録「四通八達の家」より抜粋

***************


わたしの勝気は、わたしの臆病ゆえであり、
そのために、人からよいものを分けてもらう謙虚さは、
わたしにとって、はげしく面倒なものでした。

「そのためにその人は、
 自分のすぐれた所は、いうまでもなく誇りたかぶり、
 劣っている所も慾目やこじつけでよいと思おうとするのです。
 同時に当然その人びとは、他人に冷笑や皮肉な批評をする人になるのです。」

とも書かれています。
これはズバリ、わたしそのものです!


わたしの母校(高校)には、音楽部という、
とても盛んなコーラス部があり、
先日のギターとリコーダーのコンサートが行われた
大きなホールを借りて、ミュージカルをしたりすることもあります。

ああちゃんが、それを見に行ったことがあるという話になり、
みんなすごかったよ、と言いました。
わたしももっとそういう場に出て行けばよかったかもしれないけど、
プライドがじゃまして、音楽部には入らなかった、とわたしは言いました。

わたしの食の師匠・吉朝さんは、よく表彰台に立たれる方ですが、
先日、自分の受賞をわざわざ公表され、
これまでは、そういうことを表に出すのがはばかられたのだけれど、
それは高慢でした、
わたしが賞をいただけたのは、みなさんのおかげ、
だから、みなさんとともに喜びたいのです、
ありがとうございます、とおっしゃいました。

音楽家の友だちのブログに、
自分から出てくるものは、とりあえず、
「贈り物」として受け止めよう、とありました。
わたしは自分の作品や演奏にも常にダメ出しをして、
仕上げないで途中で投げ出すことが多いのです。
自分から出てくるものをよいものとして受け止め、世に出し、
分かち合う謙虚さがありませんでした。


脈絡ありませんが、
思い当たることが、数かぎりなくあります。



イエスさまは、わたしのようになりなさい、とおっしゃいます。
一見、なんと高慢なことばに思えるでしょう。
でも、イエスさまは、ご自身の持っておられる、すべてのよいものをご存じで、
そのいのちと引き換えに、
わたしたちも、そのよいものを持つことができるようにしてくださいました。
十字架の血潮によって、恐れのくさりを打ち壊し、
臆病の霊ではなく、力と愛と慎みとの霊を与えてくださいました。


こんなわたしでも、たくさんの人にゆるされて、愛されてきました。
いただいてきた、お返ししきれないたくさんの愛を、分かち合い、
みなさんからよいものをたくさんいただきたい。


ただ主に栄光。
ただ主に栄光。
ハレルヤ!
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by les-copain | 2010-02-17 04:11 | 思い | Comments(0)

愛、届いていますか?

a0028049_5591650.jpgある雨の先日、
お昼ごはん前に、
2階が静かだなと思って、
上がってきてくれたえいさん。

案の定、わたしは疲れていて、
かずおくんをひざに乗せたまま、
眠ってしまっていました。
(かずおくんは、パソコンで、
 電車の動画を見ていました。)

それから、父と息子のお料理タイムが始まりました。
セロリ丼、おいしかった。
ありがとう。
しあわせ。

きのうの礼拝メッセージ(説教ともいいます)は、
牧師ではなく、信徒のIさんでした。
わたしの母教会では、
わたしが教会に行き始めたころからずっと、
牧師だけでなく、信徒も礼拝の中でお話をする機会があります。

牧師不在のとき、ということが多いのですが、
牧師が、
「自分も養われたいので、お願いしました。」ということもあります。
きのうもそうでした。

Iさんは、どこか抜けていて、そこがまた人の心を打ちます。
彼の独身時代は、わたしたち女子高校生は、
そういう彼をからかったものですが、
すばらしい夫になり、これまたすばらしいおとうさんになったいま、
彼のさまざまな武勇伝は、
わたしたちの胸にひっそりと刻まれて、
ただただ、むかしから変わらず彼の人生の中心にある、
神さまの愛と恵みの証しとなっています。

バレンタインデーにちなんで、
メッセージのタイトルは、
「愛、届いていますか?」(似たようなタイトルのうたが、むかしむかしあった・・・)


***************

自分がいちばん弱っていて、
いちばん励ましが必要なときに、
自分が自分の味方になれないことがあります。

自分がいちばん傷つくことばを、
自分にたたきつけてしまいます。

そうして、わたしたちの心は痛みます。

そういうとき、神さまの心は、もっと痛んでいます。

そして、神さまは敢然と、こう言われます。

「誰がなんと言おうと、あなたがどう思おうと、
 わたしには関係がない。

 わたしの目には、あなたは、高価で尊い。

 わたしがあなたを造った。

 あなたはわたしのものだ。」

わたしたちひとりひとりをごらんになって、
神さまはいつも、「ああ、いいなあ・・・!」と言ってくださっています。

わたしたちが喜んでいる笑顔を、
神さまは喜んでおられます。

***************

牧師も、ずっとメモをとっておられました。
メッセージのあと、
「自分へのメッセージとして、しっかり受け止めさせていただきました。
 このあと、Iさんとお話したいと思われる方は、
 どうぞお声をおかけください。」とおっしゃいました。

わたしも、自分が笑顔になれないとき、
願うように行動できないとき、
そんな自分をどう受け入れるか、
それがカギだとわかりながらも、
自分を責めることが多かったのです。

愛、届きました。

神さまは、ことばで人をいやし、養われるように、
人を造られたのだなあ。

わたしはこのところ落ち着いています。
こんなにかわいい子どもとのこの時間を、
イライラしてすごしたら、もったいないことだ、と思いました。
(イライラしてしまったときは、
 これもありだ、と思うようにしました。
 ありがとう、Mちゃん。)

そして、大事なところは、おとうさんに任せるのがいちばん!
おかあさんは、あまりいろいろ言わなくてもいいんだわ、
という出来事が続いたので、楽になりました。
結局は、やっぱり神さまにお任せすればいいんだってことね。

「いまかわいいだけで、一生分の親孝行。」という名言を
どこかで聞きましたが、
ほんとうにそうなのだと思えてきました。

いまがいちばんいいときね、とよく言われます。
そしたら、これからは悪くなるの~?と、
不安にさせることばだと思うこともありましたが、
神さまのわたしたちへの愛を思い出させてくれるものだと、
いまはうれしく受け止めます。

神さまの目には(親の目には)、いつでもわたしたちは、
高価で尊いのです。

ゆうべは、電気を消したあと、
ふとんの中で、

「神さまも、とうさんもかあさんも、
 ばあちゃんもはるぼうも、(ほかにも延々と・・・)
 みんなみんな、かずおくんのことが大好きだよ。

 かずおくんも、みんなのことが大好きだね。

 とうさんとかあさんは、
 かずおくんのとうさんとかあさんで、しあわせだよ。

 かずおくんは、たからものだよ。

 かずおくんは、いい子だね。

 かずおくんは・・・・。」


ひとつひとつに、「うん、うん」と、
かずおくんは答えて、
そのうち、寝息が聞こえてきました。



長くなりましたが、わたしが忘れないように、
もうひとつ、書き留めます。

先日の友の会の「乳幼児を持つ母の集まり」での、
先輩おかあさんからのアドバイス。

****************

しつけようと思わなくていい。
子どもは、親がするようにしかならないから。

親は自分の人生を生きないと。
わたしは、親の人生の中に子どもがいる、と思っている。
ありのままの自分をさらけ出して、受け入れてもらう。
その代わり、親も、子どものありのままを認め、受け入れること。
小さくても、対人間である。

****************


わたしの人生、なんてすばらしいんでしょうね。

こんなふうに思えるのは、
きっとどこかでだれかがきょうも、
わたしのために祈ってくださっているからでしょう。

愛、届いていますよ。
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by les-copain | 2010-02-15 05:59 | 思い | Comments(4)